創業前史
1945-1950
戦後の焦土を見た豊田喜一郎氏は、「燃えない家を考えなければ」という父・佐吉氏の言葉を思い出し、「住宅造りは天の指令だ」と意気込んだ。
1946年(昭和21年)3月、トヨタ自動車工業(現:トヨタ自動車)施設部内に不燃住宅の実現に向けた工場として発足。
愛知県建築部の後援を得て、東京工業大学の田邊教授と後藤助教授の指導のもとに
組立式鉄筋コンクリート(後のプレコン)の研究を開始。
ついに2階4戸建てのプレコン住宅を完成させた。
ここに不燃住宅の大量生産方式の見通しが立ったと判断し、トヨタ自動車工業より分離して、ユタカプレコンを設立。
不燃住宅の研究から4年後のことであった。
工場を設立、不燃住宅研究開始
ユタカプレコン研究所を設立し、
組立式鉄筋コンクリートの研究開始
「ユタカプレコン株式会社」を設立
商品開拓期
1951-1964
住宅に情熱を燃やし続けてきた創立の祖、豊田喜一郎氏が1952年(昭和27年)に逝去。
同氏の志を引き継ぎ、ついに完成した“トヨライト構造”は、
1962年以降に全国展開された量産公営住宅の立役者となった。
一方、土木製品では同じ年に3品目のJIS規格表示許可工場に認定される。
ここに至るまでには、1959年9月に来襲した伊勢湾台風の復興復旧工事にて
「ポストテンショニングPSコンクリート矢板」が活躍したことで、会社の業績と社会的評価が高まったことが背景としてあった。
東京工場開設
社名変更
「量産公営住宅」が全国的に採用
納入を開始
会社発展期
1965-1979
1965年(昭和40年)、当時としては画期的とも言えるドライジョイント工法を低層だけでなく中層住宅にまで広げていく。
さらに、高層完全プレハブや高層PS工法、ラーメンユニット工法といったさまざまな技術を確立。
受注を拡大させ、会社発展の礎を築いていった。
さらに、新和建設の設立、豊田コンクリートの本社移転と、
多様化し始めたニーズに果敢に挑んだ時代であった。
住宅金融公庫工場生産住宅として承認
プレキャスト鉄筋コンクリート造ユニット構法で
建設大臣認定を取得
すべて豊田工場へ移転
総合期
1980-2002
1980年(昭和55年)に豊田総建へと社名変更したのを皮切りに、プレキャストコンクリート製品を軸にした中高層の一般マンションの建設、
また、カーテンウォールや薄肉合成床板などハーフPCa製品の設計製造に着手。
企業ニーズに合わせて工場や事務所、立体駐車場などの建設に乗り出し、
設計から施工まで一貫して対応するようになっていった。
さらに、お客様の事業活動上、定常的に発生する営繕工事にも取り組み、建築全般を通して総合的に事業を展開していく。
変革を遂げ、一層の飛躍へと繋げる時代であった。
総合建設会社を目指し
「豊田総建株式会社」に
社名変更
トヨタ⾃動⾞およびグループ会社の⽴体駐⾞場を数多く建設
「品質管理優良賞」を受賞
(トヨタ自動車独身寮 レジデンス聖心)
15㎝刻みの自由設計が可能な3-5階建ての
共同住宅(WPCa工法)
飛躍期
2003-2020
それぞれの道を歩んできた二つの会社が統合され、
ついにトヨタT&S建設が誕生。
PCaと営繕を武器として、高い技術力と
優れた提案力を持つオンリーワン企業を目指すことになった。
「トヨタT&S建設株式会社」を設立
「応急仮設住宅」「復興住宅」計918戸建設
・ 「こじまこども園」が中部建築賞(一般部門)を受賞